屋島は瀬戸内海に突き出た溶岩台地で、古くから海上交通の要衝として知られていた。平安時代末期、治承・寿永の乱(源平合戦)の中で、平家は元暦元年(1184年)に摂津一ノ谷の戦いで敗れた後、瀬戸内海支配の拠点として屋島に陣を構えた。元暦2年(1185年)2月、源義経は少数の軍勢を率いて嵐の中を阿波に渡り、陸路から平家の背後を突く奇襲を敢行した。この「屋島の戦い」において、平家水軍は義経の機動戦術の前に敗走を余儀なくされた。戦いの最中、平家方が船上に掲げた扇を那須与一が弓で射抜いた「扇の的」の逸話は、『平家物語』に記され後世に広く伝わる。敗れた平家は屋島を去り、同年3月の壇ノ浦の戦いで滅亡した。中世以…