屋島は瀬戸内海に突き出た溶岩台地で、古くから要害の地として知られた。奈良時代、鑑真の弟子・鑑禎が庵を結んだことに始まるとされ、後に空海(弘法大師)が屋島寺を整備したと伝わる。中世において最大の転機となったのは、1185年(元暦2年)の源平合戦・屋島の戦いである。平家が屋島を拠点として瀬戸内海の制海権を握る中、源義経率いる源氏軍が奇襲をかけ、平家は壇ノ浦へと追われた。この戦いにまつわる史跡として、血の池・義経の弓流しの跡・那須与一の扇の的の地などが山上に残る。近世には屋島寺が四国八十八箇所霊場の第八十四番札所として巡礼者を集め、信仰と景勝の地として広く知られた。明治以降、山上への道路整備や観光開…