弘法大師空海が大同10年(815年)に開創したと伝わる。空海が屋島の地に草庵を結び、十一面千手観世音菩薩を刻んで本尊としたのが創始とされる。その後、平安時代末期の元暦2年(1185年)、境内が位置する屋島の台上はその麓一帯が源平合戦「屋島の戦い」の舞台となり、那須与一による「扇の的」の故事で名高い古戦場に隣接する霊場として広く知られるようになった。中世には兵火による被害を受けたとも伝わるが、四国霊場の霊地として信仰を集め続けた。近世には高松藩主・松平家の庇護を受け、堂宇の整備が進められたとされる。明治初年の神仏分離・廃仏毀釈の際には一時的な混乱があったが、四国八十八箇所第84番札所として寺院と…