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梶原山公園
静岡県
正治2年(1200年)梶原景時一族23名が戦死した駿河国の終焉地
創建
1200 年
種別
史跡
アクセス
JR清水駅または草薙駅からタクシー約20分、登山口から徒歩約30分
静岡県静岡市清水区横砂東町(梶原山山頂)
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基本情報
史跡
創建 1200年
826年目
概要
静岡市清水区横砂東町と葵区瀬名の境にそびえる標高281メートルの梶原山の山頂公園。正治2年(1200年)正月20日、頼朝亡き後の弾劾追放を受けて鎌倉を出た梶原景時・景季・景茂ら一族33名(うち戦闘員23名)が京を目指して西上する途中、駿河国狐崎で在地武士の襲撃を受け、この梶原山山頂で討たれたと伝わる地。山頂には景時を偲ぶ「梶原景時公一族慰霊碑」と顕彰碑、梶原一族の墓石群が立ち、駿河湾と富士山を望む絶景を一望できる。鎌倉殿の13人で再注目された景時の最期を偲ぶ史跡として、近年は鎌倉時代史ファンの参拝も増えている。標高があるため夕日・夜景・初日の出の名所としても市民に親しまれ、桜の名所でもある。
由緒
正治元年(1199年)正月の源頼朝急死後、二代将軍頼家の側近として権勢を振るっていた梶原景時は、同年10月に御家人結城朝光の発言を讒言として頼家に告発した。これを契機に三浦義澄・和田義盛・畠山重忠ら66名の御家人による弾劾連判状が頼家に提出され、景時は所領を没収されて12月に鎌倉を追放された。所領のあった相模国一宮を経て、京都の後鳥羽上皇に仕官すべく西上した一行は、正治2年(1200年)正月20日、駿河国狐崎(現・静岡市清水区横砂)に差し掛かったところで地元武士・吉香小次郎友兼ら一千余騎の襲撃を受けた。景時は嫡男・景季、次男・景茂、三男・景時頼らと共に応戦したが衆寡敵せず、梶原山の山頂まで退い…
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正治2年(1200年)正月20日、鎌倉から追放された梶原景時は嫡男・景季ら一族33名と京を目指す途上、駿河国狐崎で地元武士・吉香小次郎友兼ら一千余騎の襲撃を受けた。応戦した一族はこの梶原山山頂まで退いて自害もしくは討死し、戦闘員23名が戦死して梶原氏嫡流は滅亡した。鎌倉殿の13人として頼朝の懐刀であった景時の最期を今に伝える唯一の現地史跡。
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