歌聖・柿本人麻呂は持統・文武朝の宮廷歌人で、『万葉集』に多くの名歌を残した。明石との深い縁は「ほのぼのと明石の浦の朝霧に」の歌に象徴される。社伝では寛仁元年(1017年)、源顕信(明石入道)が人麻呂の木像を人丸山の山頂に祀ったのが創始とされ、その後、荘厳な社殿が整備されて歌道・学問の守護神として貴族・歌人の崇敬を集めた。中世以降、明石藩主の庇護のもとで社格が高まり、近世には西国街道沿いの名所として広く知られるようになった。明治以降は「人丸さん」の愛称で地域住民に親しまれ、学業成就・安産の神としても信仰を集める。境内を貫く東経135度の日本標準時子午線は明治19年(1886年)の標準時制定に由来…