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上泉城跡
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上泉城跡
群馬県
創建
1500
種別
史跡
アクセス
JR両毛線「前橋」駅からバス約20分
群馬県前橋市上泉町
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基本情報
史跡
創建 1500
526年目
概要
新陰流の祖・上泉信綱の居城跡。信綱はこの城の城主であったが、主家・長野氏の滅亡後に剣術修行の旅に出た。「活人剣」の理念を掲げ、袋竹刀を発明して安全な稽古を可能にした剣聖。
由緒
上泉城は、16世紀初頭(1500年頃)に上野国(現・群馬県)の国人領主・上泉氏によって築かれたと伝わる。城地は大胡氏の流れを汲む上泉氏の本拠であり、周囲に土塁や堀を巡らせた平城であったとされる。城主・上泉秀綱(後の信綱)は上野国の有力国衆・長野氏に仕え、その重臣として各地の合戦にも参加したと伝えられる。1560年代、武田信玄の侵攻により主家・長野氏が滅亡すると、信綱は城を去り諸国武者修行の旅へと出立した。その後、剣聖・上泉信綱として新陰流を大成し、「活人剣」の理念と袋竹刀による稽古法を広めた。上泉城はその後廃城となり、江戸時代以降は次第に耕地化・宅地化が進んだ。現在は城跡の遺構として土塁の一部…
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上泉信綱とのつながり
上泉信綱は上野国上泉城の城主として長野業正に仕え、武田信玄の侵攻にも果敢に抵抗した武将。永禄年間に主家滅亡後、剣術修行の旅に出て新陰流を大成した。袋竹刀による安全な稽古法を考案し、殺人剣から活人剣への転換を唱えた。弟子の柳生宗厳を通じて柳生新陰流へと継承され、日本剣術史に最大の影響を与えた剣聖。

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