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東叡山 寛永寺
東叡山 寛永寺
東京都
創建
1625
種別
寺院
アクセス
JR鶯谷駅から徒歩8分
東京都台東区上野桜木1-14-11
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基本情報
寺院
創建 1625
401年目
御祭神・御本尊
薬師如来(根本中堂本尊
秘仏)
開基・創建者
天海大僧正
宗派
天台宗
ご利益
健康長寿・病気平癒
厄除け・災難除け
延命長寿
病気平癒・身体健全・心身の癒し。薬師如来や観音菩薩を本尊とする寺院が霊験あらたか。
御祭神「薬師如来(根本中堂本尊・秘仏)」のご神徳に由来

お祭り・行事
1

8月
13
寛永寺 盂蘭盆法要
徳川将軍家の菩提寺・寛永寺での盂蘭盆法要。6代将軍家宣をはじめ多くの徳川将軍が眠る名刹で、お盆の季節に先祖供養の法要が厳かに行われる。上野公園に隣接した格式ある天台宗の大寺院。
概要
寛永2年(1625年)、徳川二代将軍・秀忠の命を受けた天海大僧正が、江戸城の鬼門(北東方向)を護るために比叡山延暦寺を範とし「東叡山」と号して創建した天台宗の大寺院。最盛期には現在の上野公園一帯を含む広大な境内に36の塔頭・子院が立ち並び、東日本における天台宗の総本山として絶大な権威を誇った。三代将軍・家光以降、秀忠・家宣・家継・家重・家慶・家茂の六将軍がここに葬られ、徳川家最大の菩提寺となった。本尊は薬師如来(秘仏)で、根本中堂は川越・喜多院の客殿を移築したもので現在も重要文化財に指定されている。幕末の慶応4年(1868年)5月、彰義隊と新政府軍が激突した「上野戦争」でほとんどの堂宇が焼失し、翌明治時代には境内のほぼ全域が上野公園として国に接収された。現在も不忍池弁天堂や旧本坊表門(黒門)など往時の面影を留める建造物が残り、上野の杜に刻まれた江戸と幕末の記憶を今に伝える。
由緒
1625年、天海大僧正が二代将軍秀忠の命により江戸城の鬼門封じとして創建。比叡山延暦寺に倣い「東叡山」と号した。歴代将軍の庇護のもと36院の子院を擁する大伽藍に発展。1868年の上野戦争で大部分が焼失。明治以降、寺域の大半が上野公園として整備された。

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1868
上野戦争跡地(寛永寺)
1868年(慶応4年)5月15日、現在の上野公園(当時の寛永寺境内)を拠点とした彰義隊と新政府軍の戦闘。徳川家への忠義を貫こうとする旧幕臣・町人らが結成した彰義隊は、一時は数千名に膨れ上がり上野に立て籠もった。新政府軍は大村益次郎の指揮のもと、アームストロング砲など最新兵器を投入し、わずか一日でこれを制圧した。彰義隊の頭取・渋沢成一郎らは脱出し、後に振武軍として再戦を試みるが失敗に終わった。この戦闘で寛永寺の堂塔の多くが焼失し、現在の上野公園の広大な空き地が形成された。江戸が事実上無血開城された後の最後の抵抗として歴史に刻まれる。現在、上野公園内の彰義隊の墓には今も花が供えられ、西郷隆盛像とともに明治維新の激動を伝えている。黒門(現移築)には当時の弾痕が生々しく残る。
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1868
上野戦争
慶応4年(1868年)5月15日、徳川慶喜に忠誠を誓う彰義隊約2,000名が上野の寛永寺に立て篭もり、大村益次郎率いる新政府軍と激突した。アームストロング砲の砲撃により、わずか1日で彰義隊は壊滅。寛永寺の大伽藍は焼失し、かつての徳川家の菩提寺は廃墟と化した。この地は後に日本初の公園・上野公園となる。
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徳川家康とのつながり
天海大僧正が家康の遺志を継ぎ、江戸城の鬼門を守護する寺として創建。比叡山延暦寺を模して「東叡山」と号した。家康の孫にあたる三代将軍家光以降、六人の将軍がここに葬られ、徳川家最大級の菩提寺となった。最盛期には上野の山全域が寺領であった。
徳川慶喜とのつながり
慶応4年(1868年)、鳥羽・伏見の戦いに敗れた徳川慶喜は寛永寺の大慈院に謹慎した。同年5月の上野戦争で彰義隊が新政府軍に敗れると、寛永寺の壮大な伽藍は焼失。徳川家の菩提寺として栄華を誇った寛永寺は、幕府とともに終焉を迎えた。

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