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観音寺城
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観音寺城
創建
1335
種別
アクセス
JR安土駅からタクシー約10分
滋賀県近江八幡市安土町石寺
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基本情報
創建 1335
691年目
概要
近江守護・六角氏の居城として室町時代から戦国時代にかけて繁栄した山城。繖山(きぬがさやま)の山頂部から山腹にかけて展開する広大な城域は、畿内最大規模の山城として知られる。建武2年(1335年)頃に六角氏が築城し始め、最盛期には数百の郭を擁した。永禄11年(1568年)、足利義昭を奉じて上洛する織田信長の侵攻に対し六角義賢は戦わずに城を放棄して逃走。これが信長の近江制圧の発端となり、やがて安土城築城へと繋がっていく。国の史跡。
由緒
建武2年(1335年)頃、近江守護・六角氏が繖山(きぬがさやま、標高432m)に築城を開始したとされる。室町時代を通じて整備が進められ、山頂部から山腹にかけて数百の郭を連ねる畿内最大規模の山城へと発展した。15世紀から16世紀にかけての最盛期には、城下町も形成され近江支配の政治的・軍事的拠点として機能した。六角氏は応仁の乱以降も近江南部に一定の勢力を保ったが、戦国期には織田氏・浅井氏ら周辺勢力との抗争が続いた。永禄11年(1568年)、足利義昭を奉じて上洛途上にあった織田信長が侵攻すると、城主・六角義賢(承禎)は戦わずして城を放棄し逃走した。これにより観音寺城は廃城となり、後に信長が築いた安土…
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織田信長とのつながり
永禄11年(1568年)、信長は足利義昭を奉じて上洛する際、近江を支配する六角義賢の観音寺城を攻撃。六角氏は戦わずして城を放棄して逃亡し、信長は無血に近い形で近江南部を制圧した。この快勝が翌年の安土城築城地選定へとつながっていく。

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