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JR安土駅から徒歩約25分
滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
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天正4年(1576年)に織田信長が琵琶湖畔の安土山に築いた革新的な天守を持つ城。地下1階地上6階の壮大な天主は金箔瓦や絢爛な内装で飾られ、天下人の権威を誇示した日本初の本格的な高層天守建築と評される。キリスト教の布教を許可した信長は宣教師フロイスもここに迎えており、南蛮文化と戦国日本の交差点ともなった。天正10年(1582年)の本能寺の変後に焼失したが、わずか6年で日本城郭建築史に革命をもたらした安土城は今も国の特別史跡に指定される。
1576年、織田信長が琵琶湖東岸の安土山に築城を開始。地下1階地上6階の壮大な天主は金箔瓦や絢爛な内装で飾られ、当時の人々を驚嘆させた。1582年の本能寺の変後に焼失。わずか6年で失われたが、日本の城郭建築に革命をもたらした。
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1576年(天正4年)、織田信長が琵琶湖東岸の安土山(現在の滋賀県近江八幡市安土町)に安土城の築城を開始した。高さ約32メートルの七層の天守を備えたこの城は、当時の最先端建築技術を駆使した壮麗な城で、金箔を施した豪華な内装が伝えられる。信長はこの城を本拠として全国統一を目指し、城下町の楽市楽座(商業の自由化)を推進した。1582年の本能寺の変後に焼失したが、その壮大な構想は後の江戸城・大坂城などに受け継がれた。現在、安土城跡は国の特別史跡として整備されている。
弥助はアフリカ出身の黒人で、イエズス会宣教師ヴァリニャーノに伴われて天正9年(1581年)に信長に謁見。信長は弥助の肌の色と体躯に興味を持ち、家臣として召し抱えた。安土城にも出入りし、信長から扶持を与えられた日本史上初の外国人侍とされる。本能寺の変では信長の傍にあり最後まで戦ったと伝えられる。
天正10年(1582年)6月2日、明智光秀が本能寺の変で信長を討った直後、主なき安土城を接収。しかし山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れた後、城は謎の火災で焼失。光秀にとって安土城は天下人の座を夢見た束の間の舞台であった。
天正4年(1576年)、信長が天下統一の象徴として琵琶湖畔の安土山に築城を開始。地上6階の黄金の天主は当時の最先端技術と豪華な内装を誇り、信長の権威を天下に示した。まさに信長の「終の棲家」にして天下布武の本拠。
山崎の戦いで光秀を破った羽柴秀吉は、信長の後継者として安土城に入城。しかし城はその後焼失し、秀吉は次の天下人として大坂城の築城へと歩を進めた。安土城は秀吉の覇業の出発点となった地。
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