神奈川県藤沢市鵠沼神明に鎮座する、天照皇大神を主祭神とする古社。別称「烏森神社(からすのもりじんじゃ)」。天長9年(832年)に社殿造立の記録があり、延喜式(927年)の時代には相模国土甘郷の総社として「相模国土甘郷総社神明宮」と称された古格の社である。
平安後期、後三年の役(1083〜1087年)に16歳で従軍し右目を矢で射られながらも奮戦したことで知られる鎌倉権五郎景政が、長治年間(1104〜1106年)に相模国高座郡に大庭荘を開発。永久5年(1117年)、伊勢恒吉の仲介により景正はこの地を伊勢神宮に御厨として寄進し、当宮は「伊勢神領大庭御厨総鎮守・皇大神宮」と称されるようになった。大庭御厨は東は境川から西は寒川郷、北は大牧崎から南は海辺に至る相模最大の御厨であった。
寿永3年(1184年)には、源平合戦・屋島の戦いで「扇の的」を射た那須与一宗高が弓矢を奉納したと伝わる。
毎年8月17…
皇大神宮の起源は、大同3年(808年)に現在地に造立された式内社「石楯尾神社」に遡るとされる。その後、第53代淳和天皇の御代・天長9年(832年)に烏森神社(皇大神宮の前身)の社殿造立が記録された。ここ「烏森」の地名は烏が群がり棲んだことに由来するといい、以来「烏森神社」の別称でも親しまれてきた。
延喜式(927年)の選進のころ、当社は相模国土甘郷(とかみごう)の総社に列せられ「相模国土甘郷総社神明宮」と称した。土甘郷とは現在の藤沢市鵠沼・辻堂・長後・高座郡などを含む広域地名で、当社はその信仰的中核を担った。
平安後期に当社の歴史を大きく動かしたのは鎌倉権五郎景正(かまくらごんごろうかげまさ)…