満福寺の創建は鎌倉時代に遡ると伝えられるが、正確な創建年・開山者を裏付ける史料は現存しない。江戸時代には神仏習合の制度のもと、境内に隣接する三嶋大神の別当寺として機能し、神社の年中行事・社殿の維持管理を担った。三嶋大神は源頼朝が伊豆の三嶋大社から分祀したとも伝わる社で、満福寺はその宗教的中枢として萩園の地域信仰を支えた。慶応4年(1868年)の神仏分離令により別当制度が廃止されると、満福寺は純然たる高野山真言宗の寺院として独立し、地域の菩提寺・霊場寺院として法灯を継承した。「相模国高座郡南部二十四地蔵霊場」の第7番・第8番の札所として、また「高座郡三十三ヶ所観音霊場」の参拝地として、現在も巡礼…