1587年(天正15年)、豊臣秀吉は20万ともされる大軍を率いて九州遠征を敢行した。当時、島津義久率いる島津氏は大友氏・龍造寺氏を相次いで制し、九州のほぼ全域を掌握していた。しかし秀吉の圧倒的な軍勢の前に抵抗は困難となり、義久は薩摩国・大隅国・日向国の3か国のみを安堵されるかたちで降伏・臣従した。秀吉はこの九州平定の帰途、1587年6月に伴天連追放令を発布し、キリスト教宣教師の国外追放と布教活動の制限を命じた。この平定により豊臣政権の全国支配はほぼ完成に近づき、秀吉はその後、関東の北条氏攻略(1590年・小田原征伐)および奥州仕置きへと勢力を拡大していった。鹿児島市内には義久降伏の地に関連する…