spot/[id]

ホーム
>
都道府県から探す
>
鹿児島市
>
鹿児島中央駅
>
城山(西南戦争最後の地)
[ まだ写真がありません ]
最初の一枚を投稿しませんか
城山(西南戦争最後の地)
創建
1877
種別
史跡
アクセス
鹿児島中央駅からバス「城山」下車
鹿児島県鹿児島市城山町
Google Map で開く ↗
基本情報
史跡
創建 1877
149年目
概要
明治10年(1877年)9月24日、西郷隆盛が西南戦争の最後の戦いで自刃した地。鹿児島市中心部にそびえる標高107メートルの城山は、薩摩の象徴的な場所。最後の5日間、西郷は約370名の兵とこの山に立て籠もり、政府軍7万の包囲の中で最期を迎えた。城山の洞窟は西郷最後の司令部として知られる。「もうここでよか」と言い残し、別府晋介の介錯で果てたと伝わる。現在は展望台から桜島と鹿児島市街を一望でき、西郷隆盛終焉の地碑と洞窟跡が残る。
由緒
城山は鹿児島市中心部に位置する標高107メートルの丘陵で、中世には上山城(じょうやまじょう)が築かれたとされ、薩摩の要害として機能したと伝わる。近世には城下町鹿児島の背景をなす地として薩摩藩の象徴的な景観を形成した。近代に入り、明治10年(1877年)に西南戦争が勃発すると、西郷隆盛率いる薩軍は各地で政府軍に敗れ後退を続けた。同年9月1日、西郷ら残存兵約370名は城山に立て籠もり、7万を超える政府軍の包囲を受けた。9月24日未明、政府軍の総攻撃が開始され、西郷は山麓の洞窟を最後の司令部として戦いを指揮した。同日早朝、西郷は銃弾を受けて負傷し、「もうここでよか」と言い残した後、別府晋介の介錯によ…
もっと読む
西郷隆盛とのつながり
明治10年9月24日早朝、政府軍の総攻撃が始まり、西郷は被弾。「もうここでよか」と言い残し、別府晋介の介錯で49年の生涯を閉じた。最後まで正装の軍服を着て端座していたと伝わる。西南戦争の終結と共に、日本最後の内戦が幕を下ろした。

ゆかりの人物
1

みんなの投稿
0
まだ投稿がありません
📱
アプリでもっと便利に
GPS自動スタンプ・オフライン閲覧・推し活機能
App Store からダウンロード
📱
アプリで巡礼を楽しむ
App Store からダウンロード
T · O · K · U