三栖神社は古代から三川(宇治川・木津川・桂川)合流地点の守護社として機能してきた。「三栖(みす)」という地名は「三つの瀬(みつのせ)」に由来し、宇治川・木津川・桂川の合流を意味するとされる。この水上交通の要衝は、古代には奈良・大和と山城(京都)を結ぶ重要な港湾地点であった。
豊臣秀吉(1537〜1598年)は天正20年(1592年)に伏見に城を築く計画を立て(伏見城。翌年着工)、伏見を自らの政治の中心地と位置づけた。三栖は伏見城の外港として機能する「伏見港」の近くに位置し、秀吉の伏見支配と深く関わった地である。境内に伝わる「木造宝塔(秀吉所用)」は、秀吉と三栖・伏見の縁を示す社宝として大切に…