創建年は不詳だが、社伝では延喜年間(901〜923年)には既に当地に八幡神が祀られていたと伝わる。中世の旧記は焼失したと伝わり、詳細な沿革は明らかでない。江戸期は玉泉寺が別当を務め、『新編武蔵風土記稿』にも「玉泉寺持」と記される。鎌倉時代には幕府から田畑の寄進を受け、村内各所に神領の「神田」が散在し、これは明治10年(1877年)まで存続した。参道入口には明治期に内務省地理寮が設置した水準点が今も残り、近代測量史の一端を伝える。明治6年(1873年)に村社に列格。中村・八幡町一帯の鎮守として今日も地域に親しまれている。