天正5年(1577年)に空賢(天正10年=1582年寂)が開山したと伝わる高野山真言宗の寺院である。本尊の木造薬師瑠璃光如来立像は藤原時代の作と伝わり、開山以前に遡る古仏を迎えた可能性がある。江戸期の当寺は、中村村の鎮守である八幡社(現・中村八幡宮)をはじめ、第六天社・稲荷社・諏訪社・山王社など村内の諸社の別当を兼ね、地域の神仏習合の中心を担った。明治の神仏分離でこれらの社と分かれた。大正12年(1923年)の関東大震災で全焼、翌年再建したが昭和20年(1945年)の横浜大空襲で再び焼失し、昭和33年(1958年)に鉄筋で再建された。度重なる災禍を越えて中村の地に法灯を守っている。