京都市上京区の二条公園内に鎮座する神社で、鵺大明神・玉姫大明神・朝日大明神の三柱を祀る。延喜式神名帳(927年)所載の神祇官西院坐御巫の八座のうちの一座「大宮賣神(おおみやめのかみ)」の名跡を継ぐ古社として伝わる。平安時代末期、近衛天皇の御代(1141〜1155年)に宮中を悩ませた怪物・鵺を弓の達人・源頼政が退治した折、血に濡れた矢じりをこの地の池で洗ったとの伝承が残り(『平家物語』巻四)、鵺の霊を鎮めるために祀られたと伝わる。鵺は頭が猿・胴が狸・尾が蛇・手足が虎という前代未聞の怪物で、その鳴き声は「ぬえ」に似ているとされた。境内には2005年に整備された「鵺池」が隣接し、往時の伝承地の面影を伝える。江戸時代にはこの地は京都所司代屋敷跡、明治以降は監獄が置かれ、昭和9年(1934年)に二条公園として整備された際に現在の姿となった。二条城北側の静かな公園内に佇み、妖怪文化と平安武士の伝承が交…
この地には延喜式神名帳(927年)所載の宮中神・大宮賣神の古跡が宿るとされ、玉姫大明神・朝日大明神の名でその神統が伝えられてきた。平安時代末期の久寿年間(1154〜1156年)ないし近衛天皇御代(1141〜1155年)、源頼政が近衛帝を悩ませる怪物・鵺(頭が猿・胴が狸・尾が蛇・手足が虎)を退治した際、血に濡れた矢じりをこの地の池で洗ったと伝わる(『平家物語』巻四「鵺」条)。この伝承にちなんで「鵺の宿った地」として霊地視され、後に鵺大明神として祀られるようになった。江戸時代にはこの地は京都所司代の屋敷地となり、江戸幕府の京都支配の要として機能した。明治維新後は監獄が置かれ、近代的な行刑施設として…