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大垣城
大垣城
岐阜県
創建
1535
種別
アクセス
JR東海道本線大垣駅から徒歩約10分
岐阜県大垣市郭町2-52
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基本情報
創建 1535
491年目
開基・創建者
宮川安定

この地で詠まれた句
1

蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ
松尾芭蕉 1689年
季語
行く秋(秋)
奥の細道、結びの地・大垣にて。伊勢二見へ旅立つ際に。
奥の細道の結びの句。大垣で詠み、伊勢の二見へ旅立った。「二見」と蛤の「蓋と身」をかけた別れの一句。
概要
岐阜県大垣市に所在する大垣城は、天文4年(1535年)頃に宮川安定が築いた平城。豊臣政権下では西軍の重要拠点となり、慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦では石田三成の弟・三成の本陣として機能した。徳川方の攻撃を受けるも落城せず、関ヶ原本戦後に開城した歴史を持つ。現在の四層四階の天守閣は昭和34年(1959年)に再建されたもの。大垣は「水の都」として知られ、城の周囲を囲む堀には水が満ちていた。松尾芭蕉が「奥の細道」の旅を終えた地としても知られ、大垣は芭蕉文学の終着点。城内には大垣城の歴史を伝える資料館が設置されており、関ヶ原合戦にまつわる資料も展示されている。
由緒
天文4年(1535年)頃築城。関ヶ原合戦では西軍の重要拠点となった。戦後は戸田氏が入封し江戸時代を通じて大垣藩主となった。
織田信長とのつながり
信長は天正元年(1573年)頃、大垣城を美濃・近江方面の兵站拠点として重視した。信長配下の武将が城主を務めた時期があり、信長の西上作戦における美濃制圧の一翼を担った城として位置づけられる。
豊臣秀吉とのつながり
秀吉は天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いの際、大垣城を西への進軍拠点として活用した。また豊臣政権下では大垣は西国と東国を結ぶ要衝として重視され、秀吉配下の武将が入城した時期もある。

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