応永23年(1416年)、杉田・東漸寺の第十九世であった雲溪龍公和尚が開創した臨済宗建長寺派の古刹。山号は「晴峯山(せいほうざん)」、本尊は釈迦如来坐像。明治17年(1884年)に鎌倉・建長寺の直末寺となり、臨済宗の法灯を今に伝える禅寺として地域に根を下ろしてきた。明治37年(1904年)12月15日に火災で堂宇・寺宝をことごとく焼失するという大きな試練を経たのち、大正4年(1915年)2月に現在地・森2丁目へ移転・再建され、大正6年(1917年)には庫裏も再建された。旧武蔵国久良岐郡(現在の磯子区・金沢区・港南区一帯)を巡る「金沢三十四所観音霊場」の第31番札所として、観音巡礼の参拝者を迎える札所寺院でもある。京急本線屏風浦駅から徒歩2分という至近に位置しながら、森町の閑静な住宅地に包まれ、境内に入れば駅前の喧騒を忘れさせる静謐な禅寺の空気が漂う。境内には六地蔵が佇み、参道にはこぢんまり…
応永23年(1416年)5月29日、杉田・東漸寺十九世の雲溪龍公和尚が開創。もとは現在地からほど近い森町417番地あたりに境内を構えていたと伝わる。中世から近世にかけては旧久良岐郡森村の里寺として地域信仰を支え、江戸期には金沢三十四所観音霊場の札所として巡礼寺の役割も担った。明治17年(1884年)、臨済宗建長寺の直末となり、廃仏毀釈と教団再編の難しい時代を乗り越える。しかし明治37年(1904年)12月15日、火災により堂宇・寺宝ことごとく灰燼に帰する悲劇に見舞われた。再建の道のりは長く、大正4年(1915年)2月にようやく現在地(森2丁目)へ移転し本堂(桁行七間・梁間四間半)を落成、大正6…