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JR紀勢本線「紀伊勝浦」駅からバス約30分「那智山」下車徒歩約10分
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8
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病気平癒・身体健全・心身の癒し。薬師如来や観音菩薩を本尊とする寺院が霊験あらたか。
御祭神「如意輪観世音菩薩」のご神徳に由来
青岸渡寺は和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山に位置する天台宗の寺院で、西国三十三所第1番札所として千年以上にわたり巡礼者を迎えてきた熊野信仰の中核寺院である。本尊は如意輪観世音菩薩。境内は熊野那智大社と隣接し、本堂すぐ隣に拝殿が並び立つ姿は神仏習合の名残を今に伝える。本堂(重要文化財)は織田信長の焼き討ちの後、1590年に豊臣秀吉が再建した桃山建築の代表作。三重塔越しに望む那智の滝の景観は熊野古道を象徴する絶景として広く知られ、ユネスコ世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産でもある。神仏霊場巡拝の道第7番。明治の神仏分離で熊野那智大社から独立した経緯を持つが、本来は一体の信仰圏を形成しており、那智の滝への滝行・大門坂参道・那智三重塔と本堂を結ぶ巡拝路は今も多くの参拝者で賑わう。
青岸渡寺の創建は仁徳天皇の御代(4世紀末頃)、インドから渡来した裸形上人が那智の滝で修行中に滝壺で観音像を感得したのを始まりとする寺伝が伝わる。また推古天皇の時代に大和の生仏聖が観音像を安置したともいう。古代から那智の滝そのものが信仰対象であり、修験道の根本道場として隆盛した。平安時代には花山法皇が西国三十三所巡礼の出発点と定めたとされ、第1番札所として確立。中世以降は熊野那智大社と一体化し「熊野那智権現」として神仏習合の聖地となった。1581年(天正9年)織田信長の熊野攻めで焼失したが、1590年(天正18年)豊臣秀吉が弟・秀長に命じて本堂を再建。この本堂は桃山建築の代表作として国の重要文化…
1590年(天正18年)、豊臣秀吉は弟・秀長に命じて、織田信長の熊野攻めで焼失した青岸渡寺の本堂を再建した。この本堂は桃山建築の代表作として現在も国の重要文化財に指定されており、秀吉による熊野復興の意志が今に刻まれている。
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