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末森城跡
石川県
天正12年、前田利家が佐々成政を撃退した「末森城の戦い」の激戦地——加賀・能登の覇権を分けた能登の山城
種別
アクセス
JR宝達駅から車で約10分
石川県羽咋郡宝達志水町菅池
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基本情報
概要
石川県羽咋郡宝達志水町に残る能登の山城跡。加賀・能登と越中の境を扼する要衝に築かれ、天正12年(1584年)9月の「末森城の戦い」の舞台として名高い。羽柴秀吉と対立する佐々成政が、前田利家方のこの城を約1万5千の大軍で急襲・包囲したが、城将・奥村永福(助右衛門)が寡兵で死守。報を受けた利家が金沢から夜を徹して救援に駆けつけ成政軍を撃退した。この勝利で前田氏は加賀・能登の支配を固め、成政は退潮に向かった。標高約140mの山上に本丸・二の丸・空堀などの遺構が良好に残り、石川県内屈指の中世山城跡として知られる。
由緒
末森城は戦国期に能登の在地勢力によって築かれ、織田信長の能登平定後は前田利家の支配下に入って加越国境を守る支城となった。天正12年(1584年)、小牧・長久手の戦いに連動して羽柴秀吉方の前田利家と徳川・織田信雄方に与した越中の佐々成政が対立。同年9月、成政は約1万5千の兵で末森城を急襲・包囲した。城将・奥村永福はわずかな兵で持ちこたえ、急報を受けた利家は金沢から夜を徹して救援に駆けつけ、成政軍を撃退した。この末森城の戦いの勝利によって前田氏は加賀・能登における地位を確立し、孤立を深めた成政は翌天正13年(1585年)に秀吉に降伏した。江戸期に廃城となり、現在は本丸・二の丸・空堀などの遺構を残す…
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