茨城県日立市助川町の小山(標高約60m)の頂上に整備された城跡公園。前身は天保7年(1836年)、水戸藩9代藩主・徳川斉昭(とくがわなりあき、烈公)が築いた助川海防城(すけがわかいぼうじょう)。19世紀前半、ロシアやアメリカの異国船が日本近海に頻繁に出没するようになった「異国船問題」を受け、海防論者として知られた斉昭が水戸藩の海岸線防衛の最前線拠点として築造した実戦的な海防城である。城主は水戸藩家老・山野辺義観(やまのべよしみ)が任じられ、海岸線を見張る砲台と兵営が設けられた。慶応4年(1868年)の戊辰戦争に際し、水戸藩内の佐幕派と尊攘派の抗争(弘道館戦争・水戸の内訌)の余波で焼失。明治以降は廃城となり、現在は桜と眺望の名所「助川城跡公園」として整備されている。山頂展望台からは太平洋・日立港・日立市街の大パノラマが広がり、幕末の海防当事者が見たであろう海域を実感できる。幕末維新の海防史を…
助川海防城は、天保7年(1836年)、水戸藩9代藩主・徳川斉昭(1800-1860、後に「烈公」と諡される)の発議により築造された。19世紀前半、世界はナポレオン戦争後の帝国主義拡張期に入り、ロシア帝国の南下、英国・米国の捕鯨船・通商船の太平洋進出が活発化していた。日本近海では文化露寇(1806-1807)、フェートン号事件(1808)、大津浜事件(1824年、水戸藩領大津浜にイギリス捕鯨船員が上陸)など、外国船による事件が相次いだ。斉昭はこうした状況を「皇国の存亡に関わる危機」と捉え、水戸藩内に海防体制を整備すべく、天保5年(1834年)から海岸線視察と防衛計画の策定に着手した。その中核拠点…