八丁堀は江戸時代、町奉行所の与力(50騎組)と同心(約200名)が組屋敷を構えた特異な武家地であった。与力・同心は江戸の治安維持と司法行政を担い、「八丁堀の旦那」と呼ばれて独特の文化を育んだ。玉円寺はこの地域で武家とその家族の菩提を弔う寺院として機能し、年忌法要・葬儀・月命日の法事などを通じて武家社会の精神的基盤を支えた。「玉円」の名は仏教における円満・完全の境地を示す言葉とも解される。明治維新で与力・同心の組屋敷が解体された後も、寺は地域の変容を見届けながら法灯を守り続け、現在の八丁堀にその歴史を刻み続けている。