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田中本陣跡
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田中本陣跡
神奈川県
創建
1623
種別
史跡
アクセス
JR川崎駅から徒歩10分
神奈川県川崎市川崎区本町2-7付近(旧東海道沿い)
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基本情報
史跡
創建 1623
403年目
概要
神奈川県川崎市川崎区本町の旧東海道沿いに立つ、東海道川崎宿「下の本陣」田中家の跡地。本陣は大名・公家・旗本・幕府役人らが宿泊する格式高い施設で、田中本陣は門構え・玄関付き・敷地231坪の堂々たる建物であった。川崎宿は元和9年(1623年)に設置された東海道二番目の宿場(日本橋から約20km)で、新宿・砂子・久根崎・小土呂の四町からなり、田中本陣は新宿町(現・本町)に置かれていた。田中本陣の3代当主・田中休愚(たなか・きゅうぐ/丘隅、1662-1729年)は、本陣・名主・問屋の三役を兼任しつつ、六郷の渡船権を譲り受けて宿財政を立て直した稀代の名主・経世家。享保期に8代将軍吉宗の諮問に応じて名著『民間省要』を著し、幕府から勘定支配格に登用され、多摩川・相模川・酒匂川の治水事業に従事した江戸中期を代表する町人政策家である。明治以降宿場制度の廃止とともに本陣は解体されたが、跡地には史跡標柱・案内板…
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由緒
元和9年(1623年)川崎宿設置と同時に新宿町(現・本町)に置かれた「下の本陣」。門構え・玄関付・敷地231坪。3代当主・田中休愚(丘隅、1662-1729)は本陣・名主・問屋の三役を兼任、六郷渡船権を幕府から譲り受けて宿財政を立て直し、享保期に吉宗の諮問に応じて『民間省要』を著し勘定支配格に登用された。多摩川・相模川・酒匂川の治水事業にも従事。明治の宿場制度廃止で本陣は解体、現在は史跡標柱・案内板が立つ。
徳川吉宗とのつながり
8代将軍・徳川吉宗は享保の改革の一環として民政・財政の立て直しを進め、全国の有能な町人・農民から意見を徴した。川崎宿の田中本陣3代当主・田中休愚(丘隅)は享保6年(1721年)頃、幕府に上申書『民間省要』全三部を提出。民間の実情・農村財政・治水・宿駅疲弊などを具体的に論じた経世書として吉宗に激賞され、享保8年(1723年)には幕府に登用されて勘定支配格に昇進、以後多摩川・相模川・酒匂川の治水事業を統括した。宿場の一名主から幕府官僚へと異例の抜擢を受けた休愚は、吉宗の実用主義・町人登用政策を体現する人物であり、川崎宿の田中本陣は単なる本陣を超えて、享保の改革を支えた民間経世家の本拠地となった。

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