承和10年(843)、嵯峨天皇の皇子・源融が父帝を追悼して神野太神宮を創建したことに起源をもつ。これは弘仁13年(822)に嵯峨天皇が摂津国菟餓野を行幸し、現在の神山町に頓宮を設けたことが縁となった。昌泰4年(901)、無実の罪で太宰府へ左遷される途中に菅原道真公がこの地を訪れ、地元の人々が船の艫綱を円く敷いた上に座らせて紅梅を観賞させたとの故事が「綱敷」の社名の由来とされる。正暦4年(993)、道真の無実が認められ正一位太政大臣を追贈された際、神野太神宮に道真の神霊を勧請・合祀し新たな社殿を整備、綱敷天神社・北野天神と称されるようになった。昭和20年(1945)6月の大阪大空襲で社殿一切を焼…