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上田城跡
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上田城跡
長野県
創建
1583
種別
アクセス
JR上田駅から徒歩約15分
長野県上田市二の丸6263
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基本情報
創建 1583
443年目
概要
長野県上田市に位置する戦国時代の名城跡。真田昌幸が天正11年(1583年)に築城し、徳川軍の二度にわたる攻撃(第一次・第二次上田合戦)を撃退した「難攻不落の城」として名高い。第一次では1,200の兵で7,000の徳川軍を撃退する快挙を成し遂げた。現存する東虎口櫓門・南・北隅櫓は国の重要文化財。大河ドラマ「真田丸」のドラマ化以降、真田氏ゆかりの地として全国的な観光地となった。城址は上田城跡公園として整備され、春は桜の名所。真田神社も境内に鎮座する。
由緒
天正11年(1583年)、真田昌幸によって築城された。上田盆地の中央、千曲川支流の尼ヶ淵に臨む要害の地に築かれ、周囲を湿地と河川で囲んだ堅固な縄張りが特徴とされる。天正13年(1585年)の第一次上田合戦では、わずか1,200の兵で徳川家康の家臣・鳥居元忠率いる約7,000の大軍を撃退し、難攻不落の城として広くその名を知られた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の役前夜には第二次上田合戦が起こり、昌幸・信繁(幸村)父子が徳川秀忠の大軍を足止めし、秀忠を関ヶ原本戦に遅参させた。戦後、真田昌幸は高野山へ配流となり、上田藩は信之の治める地となった。江戸時代初期、徳川方によって城の多くが破却されたとされる…
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真田昌幸とのつながり
天正11年(1583年)、真田昌幸が上田の地に築城。天正13年(1585年)の第一次上田合戦では鳥居元忠ら7千の徳川軍を撃退し、1,300余の首を取る大勝を収めた。慶長5年(1600年)の第二次上田合戦では秀忠軍3万8千を10日以上足止めし、関ヶ原への遅参を招いた名将の居城。
真田幸村とのつながり
昌幸の次男・真田信繁(幸村)は、第二次上田合戦で父・昌幸とともにこの城に立て籠もり秀忠軍を翻弄した。城内の真田神社には幸村を祀る社が設けられ、「日本一の兵」として後世に語り継がれる英雄の出発点がこの上田城である。

ゆかりの人物
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