spot/[id]

ホーム
>
都道府県から探す
>
長野県
>
上田市
>
しなの鉄道上田駅
>
戸石城(砥石城)
[ まだ写真がありません ]
最初の一枚を投稿しませんか
戸石城(砥石城)
長野県
創建
1550
種別
アクセス
しなの鉄道上田駅から車で約15分
長野県上田市上野
Google Map で開く ↗
基本情報
創建 1550
476年目
概要
上田市東部の山上に位置する山城跡で、真田氏の重要な支城として知られる。 標高約790mの山頂に本曲輪があり、急峻な地形を活かした防御が特徴。 天文19年(1550年)の「砥石崩れ」で武田信玄が大敗した難攻不落の城。 第一次上田合戦(1585年)では真田信之がこの城から出撃し、徳川軍の側面を強襲した。 城跡からは上田盆地を一望でき、上田城との連携がいかに効果的だったかが実感できる。 現在は曲輪や堀切、土塁などの遺構が良好に残り、山城ファンに人気のハイキングスポット。 登山口から本曲輪まで約30分の登山で、途中に米山城や桝形城の跡も見られる。 春は桜、秋は紅葉が山城跡を彩り、四季を通じて歴史散策が楽しめる。 真田氏の軍事力の源泉を理解するために、上田城と合わせて訪れたい史跡。 「砥石崩れ」の現場に立つと、信玄が敗北した急峻な地形を体感できる。
由緒
築城年代は不詳だが、村上義清の支城として機能していたとされる。 天文19年(1550年)、武田信玄が攻略を試みたが、急峻な地形と堅固な守備に阻まれ大敗を喫した。 この敗戦は「砥石崩れ」として知られ、信玄の数少ない敗北の一つに数えられる。 その後、真田幸隆(昌幸の父)が調略によって城を落とし、真田氏の所領となった。 真田昌幸は上田城を本城としつつ、戸石城を重要な支城・詰城として整備した。 1585年の第一次上田合戦では、長男・信之がこの城に布陣し、徳川軍の側面を強襲して壊滅させた。 城の地形は上田城との連携に最適で、挟撃作戦の拠点として機能した。 1600年の第二次上田合戦でも真田軍の拠点として…
もっと読む
武田信玄とのつながり
天文19年(1550年)、武田信玄は村上義清の支城・砥石城を攻略しようとしたが、急峻な地形に阻まれ大敗を喫した。これが「砥石崩れ」として知られる信玄の数少ない大敗の一つ。翌年、真田幸隆(昌幸の父)が調略によって城を開城させ、武田家の信濃支配を進める足がかりとなった。
真田昌幸とのつながり
真田昌幸は上田城を本城としつつ、戸石城を重要な支城として機能させた。天正13年(1585年)の第一次上田合戦では、長男・信之がこの城から出陣して徳川軍の側面を突き、上田城と戸石城の連携が勝利の決め手となった。

ゆかりの人物
2

みんなの投稿
0
まだ投稿がありません
📱
アプリでもっと便利に
GPS自動スタンプ・オフライン閲覧・推し活機能
App Store からダウンロード
📱
アプリで巡礼を楽しむ
App Store からダウンロード
T · O · K · U