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和田塚
和田塚
神奈川県
創建
1213
種別
史跡
アクセス
江ノ電和田塚駅から徒歩1分
鎌倉市由比ガ浜3
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基本情報
史跡
創建 1213
813年目
概要
建暦3年(1213年)の「和田合戦」で北条義時に敗れて討ち死にした和田義盛とその一族の墓塚。侍所初代別当として幕府を支えた義盛が、北条氏の権力掌握に抵抗して起こした争乱の結末を伝える史跡。由比ヶ浜での激戦を偲ぶ供養塚として江戸時代に築かれた。江ノ電和田塚駅のすぐそばに位置し、鎌倉幕府内部の権力闘争の歴史を今に伝える重要な史跡として国に指定されている。和田氏は三浦氏の一族で源頼朝の挙兵を支えた一門でもある。
由緒
和田塚は、建暦3年(1213年)に勃発した「和田合戦」にちなむ史跡である。和田義盛は源頼朝の挙兵を支えた三浦氏の一族であり、鎌倉幕府成立後は侍所初代別当として幕府創業期を支えた重鎮であった。しかし北条義時が権力を掌握するにつれて幕府内での対立が深まり、建暦3年5月、義盛は一族を率いて北条氏に対し挙兵した。激戦は由比ヶ浜周辺にまで及んだが、同月中に義盛以下多くの一族が討ち死にし、和田氏は滅亡した。この合戦は北条氏による幕府権力の独占をほぼ確立した画期的な事件とされる。その後、戦死した義盛らを弔うため、江戸時代に地元の人々によって供養塚が築かれたと伝わる。明治以降は国の史跡に指定され、鎌倉幕府内部…
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源頼朝とのつながり
和田塚は、頼朝の挙兵を支えた三浦一族の和田義盛の墓塚である。義盛は頼朝に重用されて侍所初代別当を務め、幕府草創期を支えた。しかし頼朝没後に北条義時と対立し、建暦3年(1213年)の和田合戦で敗死した。頼朝が信頼した御家人の末路を伝える史跡である。

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