沖縄県中頭郡読谷村の丘陵上に立つグスク(琉球の石城)跡で、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として2000年にユネスコ世界遺産に登録された9資産のひとつ。15世紀初頭、読谷山按司であった護佐丸(?〜1458年)が築城したとされる。
城域は北郭と南郭の二つの郭から成るコンパクトな構造で、総面積は約3.6ヘクタール。最大の見どころは2つの**アーチ門**で、楔形に加工した琉球石灰岩を精巧に組み上げた「迫石(せりいし)積み」による技法は、沖縄の全グスクの中でも最高峰と称される。城壁は**野面積み(のづらづみ)**と**布積み(ぬのづみ)**の両方の技法が混在しており、築城技術の変遷を同一城址で観察できる貴重な遺構である。
丘の頂に建つ城からは西に**残波岬**・**東シナ海**、北西に**恩納村**の山並みを望む壮大なパノラマが広がる。特に夕暮れ時、石垣のシルエットが橙色の空に浮かぶ景観は沖…
座喜味城は15世紀初頭(1416〜1422年頃)、読谷山按司・護佐丸によって築かれたとされる。護佐丸はこの時代の琉球において、武略と築城術の両面で名を馳せた傑出した按司(領主)であった。沖縄の他のグスクと比較して精巧なアーチ技法が用いられた城壁は、護佐丸の高い技術力と組織力を示す。
護佐丸はその後、尚巴志(しょうはし)王の命を受けて座喜味城を離れ、現在の中城村に**中城城**を築いて移住した。その際、家臣・民とともに移動したとされ、座喜味城はその役割を終えた。1458年、勝連按司・**阿麻和利**から「護佐丸が謀反を企てている」と讒言(ざんげん)を受けた琉球王府は討伐軍を派遣し、護佐丸は中城…