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善名称院(真田庵)
和歌山県
関ヶ原後に昌幸・幸村父子が14年間幽閉された「真田庵」・大坂夏の陣出陣の聖地
創建
1600
種別
寺院
アクセス
南海高野線九度山駅から徒歩10分
和歌山県伊都郡九度山町九度山1413
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基本情報
寺院
創建 1600
426年目
宗派
真言宗
概要
和歌山県伊都郡九度山町に位置する真言宗の寺院で、「真田庵」の通称で知られる。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、徳川に敗れた真田昌幸・信繁(幸村)父子が高野山蓮華定院への配流を命じられ、その後山麓の九度山に移り住んだ。父子が暮らした屋敷跡に建てられた堂宇が現在の善名称院で、境内には昌幸・幸村の霊を祀る真田の社と、幸村が大坂夏の陣に出陣した際に旅立ちを記したとされる石碑「出陣の地」がある。真田十勇士の伝承や幸村の英雄像が重なるゆかりの地として、全国の真田ファンが訪れる人気の史跡。
由緒
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで西軍(石田三成方)に与した真田昌幸・信繁(幸村)父子は、東軍・徳川家康に敗れ、死罪を免じられる代わりに紀州高野山への配流を命じられた。これは嫡男・信之(東軍として戦功)の嘆願と、家康の直臣・本多忠勝・榊原康政の取りなしによるものといわれる。父子は当初、高野山の塔頭・蓮華定院に入ったが、のちに山麓の九度山に屋敷を構えて移り住み、以後14年間をここで過ごした。昌幸は慶長16年(1611年)に九度山で死去し、この地で生涯を終えた。信繁(幸村)は翌慶長19年(1614年)の大坂冬の陣を経て、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣に参陣するべく九度山を脱出し、大坂城に…
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