赤塚七丁目は中世の赤塚城跡に程近い歴史の深い地域で、江戸時代には徳川将軍家の鷹狩り場として知られた静かな農村であった。増福寺は曹洞宗(本山は永平寺・總持寺)の寺院として、「増福」すなわち福を増やし繁栄をもたらすという願いを寺号に掲げ、道元禅師の只管打坐の精神に基づく修行と葬送仏教の実践を担ってきた。曹洞宗は江戸時代に農村部を中心に急速に普及し、地方の庶民の菩提寺として各地に根付いた。赤塚の農民たちの先祖供養・年忌法要を代々引き受け、近代以降の住宅地化の中でも地域コミュニティの精神的柱として現在に至っている。