与左衛門が芭蕉の人生を変えた最大の決断は、芭蕉を藤堂家(とうどうけ)に奉公させたことです。
藤堂家は伊賀の有力な大名。藤堂家の若殿・**藤堂良忠(よしただ)**は俳諧(俳句の前身)が好きな人物で、気の合う仲間を集めていました。
与左衛門は「息子の才能をここで磨かせよう」と考えたのか、芭蕉を藤堂家に仕えさせました。芭蕉はここで俳諧を学び、良忠とともに俳句の世界に没頭しました。
農民の息子が藤堂家という武家に奉公することは、当時としては大きなチャンスでした。
もし与左衛門が「息子は農業を継げばいい」と考えていたら、芭蕉は農民のまま一生を終えていたかもしれません。「子どもの可能性を信じる」という与左衛門の判断が、世界的な俳人を生み出しました。