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体が燃えるように熱かった——平清盛の壮絶な最期
1181年、栄華を極めた平清盛は原因不明の高熱に倒れた。「水をかけても蒸発する」ほどの熱に苦しみ、「頼朝の首を墓前に供えよ」と遺言して64歳で死去。平家滅亡の前触れともなった清盛の壮絶な最期を、『平家物語』の記述とともに解説する。
深く読み解く一冊
目次
MOKUJI
一
栄華の絶頂から一転
›
二
突然の高熱
›
三
「頼朝の首を墓前に供えよ」
›
四
清盛の死が意味したもの
›
五
ゆかりの地を訪ねよう
›
六
よくある質問
›
平清盛肖像——栄華の絶頂から高熱に倒れ、源頼朝への憎しみを遺言に残して没した
Wikimedia Commons / Public Domain
「体に水をかけると、たちまち蒸発して湯気が立ちのぼった」。
これは『平家物語』に記された、平清盛の死の場面です。栄華を極めた権力者の壮絶な最期は、平家滅亡の前触れとして語り継がれています。
栄華の絶頂から一転
平清盛は武士として初めて太政大臣となり、娘を天皇の后とし、孫を天皇に即位させ、日本の頂点に立ちました。
しかしその栄華の裏で、反平家の動きが各地で起きていました。1180年、源頼朝・源義仲ら源氏が次々と挙兵。平家は各地で苦戦を強いられました。
厳島神社の大鳥居——清盛の栄華の象徴。その死から4年で平家は壇ノ浦に滅んだ
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
突然の高熱
そんな中、1181年(治承5年)、清盛は突然高熱に倒れました。
『平家物語』によれば、その熱は尋常ではありませんでした。
•
体に触れると焼けるように熱い
•
水をかけても、たちまち蒸発して湯気が立つ
•
苦しみのあまり転げ回った
現代の医学では「マラリア」「敗血症」などが死因として推測されていますが、当時の人々にはその苦しみが「悪行の報い」「物の怪のたたり」のように見えたかもしれません。
「頼朝の首を墓前に供えよ」
能の舞台——平家の興亡は『平家物語』として語り継がれ、能・歌舞伎で繰り返し演じられた。「盛者必衰」の象徴
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
死を悟った清盛は、最期にこう遺言したと伝わります。
「私の供養はいらない。ただ、源頼朝の首をはねて、私の墓前に供えよ。それが何よりの供養だ」
平家を脅かす源頼朝への激しい憎しみが、清盛の最期の言葉でした。穏やかな往生とは正反対の、執念に満ちた死でした。
清盛は1181年、64歳で世を去りました。
清盛の死が意味したもの
清盛という強力な指導者を失った平家は、求心力を失いました。
清盛の死からわずか4年後の1185年、平家は壇ノ浦の戦いで滅亡しました。安徳天皇は二位尼に抱かれて入水し、平家一門の多くが海に沈みました。
「盛者必衰(じょうしゃひっすい)」——勢いの盛んな者も必ず衰える。清盛の栄華と滅亡は、『平家物語』が伝える無常観の象徴となりました。
ゆかりの地を訪ねよう
厳島神社
(広島県・宮島)は清盛が深く信仰した平家ゆかりの世界遺産です。清盛の栄華の象徴であり、平家の滅亡を見届けた社でもあります。
平清盛のゆかりの地一覧
でほかのスポットも確認してください。
よくある質問
清盛の高熱の本当の原因は?
現代では感染症(マラリアや敗血症など)が有力とされますが、確定はしていません。『平家物語』の記述は文学的な誇張も含まれています。
「盛者必衰」とはどういう意味?
「勢いの盛んな者も必ず衰える」という仏教的な無常観を表す言葉です。『平家物語』冒頭の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」と並んで、平家の栄華と滅亡を象徴する言葉です。
最終更新日:2026年6月3日
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この記事の人物
平
平清盛
平家の棟梁・太政大臣
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詣
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