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武士で初めて日本のトップに!平清盛と厳島神社・日宋貿易
平清盛は武士として初めて太政大臣にのぼり、「平氏にあらずんば人にあらず」と言われるほどの栄華を極めた。神戸港を整備して日宋貿易を推進し、海上交通の守り神として厳島神社を壮麗に造営した。貴族の時代を終わらせ武士の時代を切り開いた清盛の革新性を解説する。
深く読み解く一冊
目次
MOKUJI
一
武士初の太政大臣
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二
日宋貿易という先見性
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三
厳島神社の造営
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四
高熱の死と平家の滅亡
›
五
ゆかりの地を訪ねよう
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六
よくある質問
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平清盛肖像——武士として初めて太政大臣にのぼり、日宋貿易と厳島神社で平家の栄華を築いた
Wikimedia Commons / Public Domain
「武士なんて、貴族に仕える戦闘員にすぎない」——平安時代まで、武士の地位はその程度でした。
その常識を打ち破ったのが**平清盛(たいらのきよもり、1118-1181年)**です。武士として初めて日本の政治のトップに立ちました。
武士初の太政大臣
清盛は1167年、武士として初めて**太政大臣(だじょうだいじん)**に就任しました。太政大臣は当時の官職の最高位で、それまでは藤原氏などの貴族しか就けなかったポストです。
さらに清盛は娘・徳子を高倉天皇の后とし、生まれた子(安徳天皇)を天皇に即位させました。天皇の外祖父(母方の祖父)として、絶大な権力を握ったのです。
「平氏にあらずんば人にあらず」——平家一門でなければ人ではない、とまで言われる栄華を極めました。
厳島神社(広島・宮島)——清盛が平家の守護神として造営した世界遺産。海上に浮かぶ朱塗りの社殿
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
日宋貿易という先見性
清盛のすごさは、政治権力だけではありません。「経済」に目をつけた先見性です。
清盛は摂津の**大輪田泊(おおわだのとまり、現在の神戸港)**を整備し、中国(宋)との貿易を推進しました。
当時の日本では、貴族たちは「貿易は卑しいもの」と考えていました。しかし清盛は宋から銅銭・絹・陶磁器・書物を輸入し、莫大な富を得ました。
特に重要だったのは「
宋銭(そうせん)
」の輸入です。これが日本に貨幣経済を広めるきっかけとなりました。清盛は経済の力を理解した、時代を先取りした政治家だったのです。
厳島神社の造営
厳島神社の大鳥居——潮の満ち引きで姿を変える清盛ゆかりの名景。平家納経も奉納された
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
清盛は海上交通の守り神として、広島の**厳島神社(いつくしまじんじゃ)**を壮麗に造営しました。
海の上に建つ朱塗りの社殿、潮の満ち引きで姿を変える大鳥居——現在も世界遺産として多くの人を魅了する厳島神社の姿は、清盛の時代に整えられたものです。
清盛は平家の守護神として厳島を篤く信仰し、一門の繁栄を祈りました。「平家納経(へいけのうきょう)」という豪華絢爛な装飾経を奉納したことでも知られています。
高熱の死と平家の滅亡
1181年、清盛は原因不明の高熱に苦しみ、「頼朝の首を墓前に供えよ」と遺言して死去しました。享年64歳。水をかけても蒸発するほどの高熱だったと「平家物語」に記されています。
清盛の死後わずか4年で、平家は壇ノ浦で滅亡しました。
ゆかりの地を訪ねよう
厳島神社
(広島県廿日市市・宮島)は清盛が造営した平家ゆかりの世界遺産です。海上に浮かぶ社殿と大鳥居は必見です。
平清盛のゆかりの地一覧
でほかのスポットも確認してください。
よくある質問
「平氏にあらずんば人にあらず」は清盛が言ったの?
清盛本人ではなく、一門の平時忠(清盛の義弟)が言った言葉とされます。平家の栄華を象徴する言葉として「平家物語」に記録されています。
清盛は本当に悪人だったの?
「平家物語」では横暴な権力者として描かれますが、近年は「日宋貿易を推進した先進的な政治家」として再評価されています。視点によって評価が大きく分かれる人物です。
最終更新日:2026年6月3日
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この記事の人物
平
平清盛
平家の棟梁・太政大臣
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記事で読んだ歴史は、現地に立つとさらに深く実感できます。下のスポットや巡礼コースから、次の参拝先を選んでみませんか。
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