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嵐の夜に裸足で走った——政子と頼朝の禁じられた恋
源頼朝は伊豆に流された罪人。そんな頼朝に一目惚れした北条政子は、別の男性との婚約の夜、嵐の中を裸足で走って頼朝のもとへ駆けつけた。当時としては前代未聞の「駆け落ち」が、後の鎌倉幕府誕生につながる壮大な物語の始まりだった。
深く読み解く一冊
目次
MOKUJI
流人・頼朝との出会い
婚約の夜、嵐の中を走る
この「駆け落ち」が日本史を変えた
ゆかりの地を訪ねよう
よくある質問
源頼朝肖像——伊豆の流人から鎌倉幕府の創設者へ。政子の「駆け落ち」がその出発点だった
Wikimedia Commons / Public Domain
「ダメ!その男とだけは結婚させない」。父親から激しく反対されながらも、自分の意志を貫いた女性がいます。
北条政子。後に「尼将軍」と呼ばれる鎌倉幕府最大の実力者です。
流人・頼朝との出会い
政子の父・北条時政は伊豆国(現・静岡県)の豪族でした。1160年代、時政のもとに預けられた「流人」がいました。源頼朝です。
頼朝は平治の乱(1159年)で敗れた源義朝の息子として、13歳で伊豆に流されました。平家全盛の時代、源氏の子孫というだけで危険人物扱いされる存在です。それでも政子は頼朝に恋をしました。
北条政子の墓(寿福寺・鎌倉)——頼朝の死後も幕府を支え続けた政子が眠る場所
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
婚約の夜、嵐の中を走る
問題は政子の父・時政が「頼朝とは絶対に結婚させない」という立場だったことです。時政は政子を伊豆目代・山木兼隆に嫁がせることに決めました。
婚礼の夜——政子は屋敷を抜け出し、嵐の夜道を裸足で走りました。頼朝のもとへ。
後世に「嵐の中の駆け落ち」と語り継がれるこのエピソードは、「一国の姫が流人に走った」という前代未聞の出来事でした。
時政の容認
時政は激怒しましたが、政子の意志は変わらず、頼朝との結婚を既成事実として押し通しました。やがて時政も認め、北条家は頼朝の後ろ盾となりました。
寿福寺(鎌倉)——北条政子が頼朝の菩提のために建立した禅寺
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
この「駆け落ち」が日本史を変えた
もし政子が父の命令に従っていたら、1180年に頼朝が挙兵したとき、北条家という強力な後ろ盾はなかったかもしれません。鎌倉幕府の成立も大きく変わっていたかもしれません。
「一人の女性の駆け落ち」が、日本の歴史を変えた——それが政子と頼朝の物語です。
ゆかりの地を訪ねよう
寿福寺(鎌倉市)は政子が夫・頼朝の菩提を弔うために建立した寺院で、政子の墓所もここにあります。鶴岡八幡宮は政子と頼朝が造営した鎌倉の中心的な神社です。
北条政子のゆかりの地一覧でほかのスポットも確認してください。
よくある質問
「駆け落ち」の話は本当にあったの?
「吾妻鏡」などの史料に記録があります。ただし後世に脚色された部分もあるとされます。
山木兼隆はその後どうなったの?
1180年の頼朝挙兵の際、最初の攻撃目標となり討ち取られました。
最終更新日:2026年6月2日
── 了 ──
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