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隻眼のハンデを超えた東北の覇者——独眼竜・伊達政宗
伊達政宗は幼少期に天然痘で右目を失い「独眼竜」と呼ばれた。隻眼のハンデを超え、18歳で家督を継ぐと20代前半で東北の大半を制圧し、奥州最大の大名へと成長した。三日月の兜と派手な美意識で知られる政宗の不屈の生涯を解説する。
深く読み解く一冊
目次
MOKUJI
右目を失った少年
東北の覇者へ
派手好きの「伊達者」
仙台藩の礎
ゆかりの地を訪ねよう
よくある質問
伊達政宗肖像——天然痘で右目を失い「独眼竜」と呼ばれた東北の覇者。隻眼で描かれている
Wikimedia Commons / Public Domain
戦国武将の中でも、ひときわ「かっこいい」と人気なのが伊達政宗です。三日月の前立てを付けた兜、隻眼の風貌——その姿は現代のゲーム・アニメでも繰り返し描かれています。
右目を失った少年
伊達政宗(だてまさむね、1567-1636年)は、出羽国米沢(現在の山形県)に生まれました。
幼少期に天然痘(てんねんとう)にかかり、右目を失明しました。飛び出した右目を見苦しいと感じた政宗は、自ら刀で目を抉り出したという伝説もあります(真偽は不明)。
この隻眼の姿から、後に「独眼竜(どくがんりゅう)」と呼ばれるようになりました。中国の唐の時代の隻眼の武将・李克用(りこくよう)の異名にちなんだものです。
仙台城——政宗が築いた仙台藩62万石の本拠。現在の仙台市の礎となった
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
東北の覇者へ
政宗は18歳で家督を継ぐと、激しい拡張政策を進めました。
20代前半で陸奥・出羽(東北地方)の大半を制圧。1589年の摺上原(すりあげはら)の戦いで会津の蘆名(あしな)氏を滅ぼし、東北最大の大名へと成長しました。
「もし政宗があと10年早く生まれていたら、天下を取っていたかもしれない」と言われることもあります。それほどの実力者でしたが、すでに豊臣秀吉が天下統一に近づいていた時代であり、政宗は秀吉に従属せざるを得ませんでした。
派手好きの「伊達者」
仙台七夕まつり——政宗が築いた城下町・仙台は、現在も東北を代表する都市として栄えている
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
政宗は派手な美意識でも知られました。
豪華絢爛な装いを好み、軍勢を華やかに飾り立てました。「伊達者(だてもの)」——おしゃれで粋な人を指すこの言葉は、政宗の派手好きが語源とも言われています。
政宗のトレードマークである「三日月の前立て」を付けた兜は、戦国武将の兜の中でも特に有名です。
また政宗は詩歌・茶の湯・料理など文化的な素養も深く、「ずんだ餅」を考案したという伝説もあるなど、食文化への関心も高かったとされます。
仙台藩の礎
天下統一後、政宗は仙台藩62万石の大名として落ち着きました。仙台城を築き、城下町を整備したことで、現在の仙台市の基礎を築きました。
ゆかりの地を訪ねよう
仙台市には瑞鳳殿・瑞鳳寺(政宗の霊廟)があります。また伊達政宗騎馬像がある青葉山公園(仙台城跡)は政宗ゆかりの代表的なスポットです。
伊達政宗のゆかりの地一覧でほかのスポットも確認してください。
よくある質問
政宗は本当に自分で目を抉り出したの?
伝説の一つですが、確証はありません。隻眼であったことは事実ですが、目を失った経緯の詳細には諸説あります。
「独眼竜政宗」はなぜ人気なの?
隻眼という個性的な風貌、派手な美意識、天下取りに一歩届かなかった悲運、文武両道の才能——これらが現代人を惹きつけます。1987年のNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」は歴代最高視聴率を記録しました。
最終更新日:2026年6月3日
── 了 ──
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