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建築
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ARCHITECTURE
小田原城の歴史完全ガイド——北条五代百年の本拠と総構の遺構
北条五代百年の本拠だった小田原城は、戦国期に周囲約9kmの総構(そうがまえ)で街を要塞化した日本最大級の城郭都市。1590年秀吉の小田原攻めで落城後、江戸期は東海道9番目の宿場「小田原宿」として栄えた。再建天守と街中の総構遺構をアクセス情報付きで完全解説。
目次
MOKUJI
大森氏から北条氏へ——15世紀後半の城
関東屈指の巨大要塞「総構」
北条氏康の時代と籠城戦
小田原合戦と落城
江戸時代と現代の小田原城
参拝・見学のポイント
ゆかりのスポット一覧
よくある質問
結論から言うと、小田原城は神奈川県小田原市にそびえる戦国時代の関東の覇者・北条五代百年の本拠地で、最盛期には周囲約9kmの「総構(そうがまえ)」で街全体を要塞化した日本最大級の城郭都市だった。1590年の豊臣秀吉の小田原攻めで落城した後は徳川家康の家臣・大久保忠世に与えられ、江戸期は東海道9番目の宿場「小田原宿」として栄えた。1960年再建の天守閣に加え、街中に残る総構の土塁・堀跡が戦国期の城郭都市の姿を伝える。本記事では大森氏から北条氏への系譜、氏康時代の最盛期、上杉・武田の攻撃を退けた籠城戦、秀吉攻めと落城、江戸期、現代の遺構までを解説する。
大森氏から北条氏へ——15世紀後半の城
早雲による奪取
小田原城の起源は、十五世紀後半。当時、相模の大森氏が築いた城が前身である。明応四年(1495年)、伊勢宗瑞(後の北条早雲)が大森藤頼を追放し、小田原城を奪取した。これが、小田原北条氏の出発点となった。
北条五代の本拠地へ
早雲はこの城を拠点に、相模一国の支配を進めた。以後、氏綱、氏康、氏政、氏直の五代百年にわたって、小田原は関東一円を支配する戦国大名・北条氏の本拠となる。
関東屈指の巨大要塞「総構」
周囲9キロの城郭都市
北条氏の時代、小田原城は日本最大級の城郭都市に発展した。本城を中心に、八幡山古郭、谷津、二の丸、三の丸、そして城下町全体を取り囲む「総構(そうがまえ)」——周囲約九キロにわたる土塁と堀で、街そのものを要塞化した。
戦国築城技術の到達点
総構は、戦国時代の城郭技術の到達点だった。通常の城は本丸を守るが、北条氏は街全体を一つの巨大な要塞とした。これは秀吉の小田原攻め(1590年)に備えての防御強化だった。同様に北条氏が築いた山中城の障子堀と並ぶ、戦国末期の防御技術の極致である。
北条氏康の時代と籠城戦
戦国の三傑・氏康
小田原城の最盛期を作ったのは、三代・氏康(1515-1571)である。氏康は武田信玄、上杉謙信と並ぶ戦国の名将で、河越夜戦(1546年)で扇谷上杉氏を破り、関東支配を確立した。氏康の時代、小田原は東国一の都市となり、人口は十万を超えた。
上杉謙信・武田信玄の攻撃を退ける
小田原城は、永禄四年(1561年)に上杉謙信、永禄十二年(1569年)に武田信玄の攻撃を受けたが、いずれも撃退した。当時最強と言われた両雄の軍勢を、北条氏は籠城戦で退けたのである。「小田原城は天下の名城」——この評価が、戦国時代を通じて確立した。
小田原合戦と落城
秀吉22万の包囲
天正十八年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めが始まった。秀吉軍は二十二万、対する北条軍は籠城兵約五万。秀吉は石垣山に一夜城を築き、長期包囲戦を展開した。
北条五代の終焉
三か月の籠城の末、北条氏直は降伏した。氏直は高野山に追放、父・氏政と弟・氏照は切腹を命じられた(氏政・氏照の墓)。北条五代百年の支配は、ここに終わりを告げた。
江戸時代と現代の小田原城
大久保氏の小田原藩
落城後、小田原城は徳川家康の家臣・大久保忠世に与えられた。江戸時代を通じて、小田原藩の城下町として整備された。東海道五十三次のうち、江戸から数えて九番目の宿場「小田原宿」として、東西交通の要衝でもあった。
1960年再建の天守と総構の遺構
幕末まで大久保氏(と一時期他家)が藩主を務め、明治維新で廃城となった。昭和三十五年(1960年)、現在見る天守閣が鉄筋コンクリートで再建された。歴史的な姿そのものではないが、小田原のランドマークとして親しまれている。
街中には総構の遺構が今も多く残る。小峯御鐘ノ台大堀切、稲荷森、八幡山古郭、城下張出——戦国時代の城郭都市の姿を伝える、日本でも稀有な遺構である。天守閣を見るだけでなく、街中の総構巡りをすると、北条氏の小田原の本当の姿が見えてくる。
参拝・見学のポイント
アクセス: JR小田原駅から徒歩約10分
所要時間: 天守閣のみなら1時間半、総構巡りも含めると半日以上
必見: 天守閣、常盤木門、銅門、馬出門、二の丸広場、報徳二宮神社(隣接)
総構の遺構巡り: 小峯御鐘ノ台大堀切、八幡山古郭、稲荷森(専用マップが小田原市観光案内所で入手可)
おすすめの時期: 桜の4月、紫陽花の6月、紅葉の11月
小田原ガイド協会: 予約すれば歴史解説付きのツアーが可能
ゆかりのスポット一覧
小田原城(本城)
早雲寺(北条五代菩提寺)
石垣山一夜城(秀吉本陣)
山中城(西方の備え)
氏政・氏照の墓
報徳二宮神社(城内)
関連人物: 北条早雲北条氏政徳川家康豊臣秀吉
よくある質問
天守閣の中はどうなっていますか?
1960年再建の鉄筋コンクリート造で、内部は北条氏・大久保氏時代の歴史展示。最上階(展望台)からは相模湾と箱根の山々が一望できます。城郭歴史博物館として刀剣・甲冑・古文書の展示も充実。所要時間は1時間〜1時間半。
総構巡りはどうやって?
小田原市観光案内所で「総構ウォーキングマップ」を入手するか、城内の小田原ガイド協会の有料ガイドツアーがおすすめ。小峯御鐘ノ台大堀切は最大級の遺構で、戦国期の土塁・堀の規模を実感できます。半日コースで歩くのが王道です。
桜の見頃はいつ?
例年3月下旬〜4月上旬がベスト。城内・二の丸広場の桜と天守閣の組み合わせは小田原の春の象徴。土日は花見客で混雑するため、平日の早朝〜午前中が狙い目。夜間ライトアップも開催されます。
子供連れで楽しめる?
天守閣の体験コーナー(刀剣レプリカの試着、武者行列の絵巻ぐるみ)は子供に人気。広い二の丸広場でピクニックも可能。天守閣からの眺望は子供にも好評。総構巡りは健脚向けで、年齢に応じてコースを選べます。
小田原合戦の戦跡をたどるには?
早雲寺(秀吉の本陣)→小田原城本丸(籠城の中心)→石垣山一夜城(秀吉の戦勝の本陣)→氏政・氏照の墓(切腹地)、というコースで1日かけて巡れます。山中城まで足を延ばせば最初の戦闘地から終焉の地までを体験できます。
最終更新: 2026年5月2日
小田原城の天守閣——1960年鉄筋コンクリートで再建、相模湾を望むランドマーク
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
常盤木門——小田原城本丸の正面入口、江戸期の姿を伝える木造櫓門
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
小峯御鐘ノ台大堀切——周囲9kmの総構の遺構、戦国築城術の証
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
北条氏康肖像——上杉・武田と並ぶ戦国三傑、小田原城最盛期の当主
Wikimedia Commons / Public Domain
小田原城と桜——4月の城下町を彩る関東屈指の桜の名所
Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
── 了 ──
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