聖地マップ
みんなの投稿
記録
辿る
マイページ
‹
神奈川県
Toku
小田原城
神奈川県
後北条五代が築いた関東屈指の名城、天正18年・豊臣秀吉の総攻撃で戦国の終焉を告げた歴史的舞台
創建
1417 年
種別
史跡
アクセス
JR小田原駅から徒歩10分
神奈川県小田原市城内6-1
Google Map で開く ↗
基本情報
史跡
創建 1417年
609年目
開基・創建者
大森頼春
概要
戦国時代に北条氏の本拠地として名を馳せた関東屈指の名城。 天守閣は昭和35年(1960年)に復興され、小田原市のシンボルとなっている。 城内には歴史資料が豊富に展示され、北条五代の栄枯盛衰を伝える。 天守閣からは相模湾や箱根の山々を一望でき、絶景が広がる。 桜の名所としても知られ、約300本のソメイヨシノが城址公園を彩る。 常盤木門・銅門・馬出門など、往時の壮大な構えが復元されている。 北条氏が五代にわたって築き上げた総構(そうがまえ)は日本最大級の規模を誇った。 豊臣秀吉の小田原攻めの舞台として戦国史に大きな足跡を残す。 現在は小田原城址公園として市民の憩いの場となっている。 動物園や遊園地も併設され、子供から大人まで楽しめる観光スポットである。
由緒
小田原城の起源は室町時代の大森氏の築城に遡るとされる。 明応4年(1495年)、伊勢宗瑞(北条早雲)が大森氏を追って小田原城を奪取した。 以後、北条氏綱・氏康・氏政・氏直と五代にわたって居城とした。 北条氏康の時代には上杉謙信や武田信玄の攻撃をも退け、難攻不落の城として名を馳せた。 天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原征伐で北条氏は滅亡した。 その後、大久保氏・稲葉氏が城主となり、江戸時代は東海道の要衝として機能した。 明治3年(1870年)に廃城となり、建物は取り壊された。 昭和35年(1960年)に天守閣が鉄筋コンクリートで外観復元された。 平成28年(2016年)には天守閣の大…
もっと読む
巡礼コース
日本100名城
0 / 98 スポット
→
東海道五十三次(神奈川区間)
0 / 6 スポット
→
戦国武将ゆかりの城
0 / 8 スポット
→
祭
お祭り・行事
— 3
8月
3
日
小田原城址公園 夏まつり
小田原城址公園を舞台に繰り広げられる夏まつり。北条氏五代が本拠とした名城の城址で、花火大会や盆踊りなどが行われ、夏の夜の小田原を彩る。戦国の歴史と夏祭りの情緒が融合した小田原ならではのイベント。
参加する
もっと詳しく · 2
記
関連記事
— 10
後
後北条五代——関東100年支配の興亡と城郭網を訪ねる:基礎と現地
伊勢盛時(北条早雲)から氏綱・氏康・氏政・氏直まで五代、約100年にわたって関東を支配した戦国大名・後北条氏。鎌倉北条氏とは別系統の伊勢平氏出身、小田原を本城に関八州を制した名門の興亡を、四公六民の民政改革・河越夜戦・1590年小田原征伐まで辿る。
era
›
小
小田原城の歴史完全ガイド——北条五代百年の本拠と総構の遺構
北条五代百年の本拠だった小田原城は、戦国期に周囲約9kmの総構(そうがまえ)で街を要塞化した日本最大級の城郭都市。1590年秀吉の小田原攻めで落城後、江戸期は東海道9番目の宿場「小田原宿」として栄えた。再建天守と街中の総構遺構をアクセス情報付きで完全解説。
architecture
›
小
小田原合戦——天下統一の最終決戦と北条五代の終焉完全解説
天正18年(1590年)、豊臣秀吉が22万の大軍で小田原城を包囲した戦国時代最後の大決戦。総無事令違反・小田原評定・3か月の籠城・八王子城の悲劇・北条氏滅亡・徳川家康の関東移封まで、日本史の大転換点を完全解説する。訪れたい合戦関連6地のリンク付き。
era
›
もっと詳しく · 7
史
関連する歴史的事件
— 3
1495 年
北条早雲の小田原城奪取
1495年、伊勢宗瑞(北条早雲)が相模国小田原(現在の神奈川県小田原市)の大森氏を滅ぼして小田原城を奪取した事件。早雲は「鹿狩り」を口実に大勢の供を連れて城下に入り込み、夜陰に乗じて火牛の計を用いて大森氏の守備を崩したとされる。小田原城を拠点に相模一国を支配した早雲は、戦国大名の原型として後世に高く評価される。素浪人から戦国大名に成り上がったという早雲の生涯(実際には今川氏との関係が深い官僚出身)は「下克上」の象徴として語られてきた。後北条氏百年の繁栄の礎となった歴史的事件。
もっと詳しく →
1590 年
小田原征伐
1590年(天正18年)、豊臣秀吉が関東の雄・北条氏政・氏直父子の小田原城(現在の神奈川県小田原市)を包囲し、降伏させた軍事作戦。秀吉は20万以上の大軍で小田原城を囲み、支城を次々と落としながら長期包囲戦を展開。100日余りの籠城の末に北条氏は降伏し、戦国大名としての北条氏は滅亡した。この征伐により豊臣政権の全国統一がほぼ完成した。家康は小田原征伐に貢献した功績として旧北条氏の関東8か国に転封され、江戸を本拠地とすることになった。この江戸入府が後の江戸幕府開創への第一歩となった。
もっと詳しく →
1590 年
小田原征伐・小田原城包囲
1590年(天正18年)3月から8月にかけて、豊臣秀吉が北条氏の居城・小田原城(現在の神奈川県小田原市)を約22万の大軍で取り囲んだ包囲戦。秀吉は周囲に塀(小田原の総構え)を巡らせた小田原城に対し、城の南の石垣山に一夜城(石垣山城)を築いて心理的圧迫を加えた。100日以上の籠城の末に北条氏は開城・降伏し、氏政・氏照は切腹を命じられた。この戦いで豊臣秀吉の全国統一が完成し、関東は家康に与えられた。小田原城は現在も天守が復元されており、包囲戦の舞台として多くの観光客が訪れる。
もっと詳しく →
人
ゆかりの人物
— 2
北条氏康
相模の獅子
›
小田原城の難攻不落を過信し、秀吉への臣従を拒否し続けた。一夜城の出現と伊達政宗の臣従により万策尽き、降伏後に切腹を命じられた。約1世紀にわたる後北条氏の栄華はここに終焉した。
豊臣秀吉
太閤・天下人
›
1590年、秀吉は20万の大軍で小田原城を包囲。城外でカーニバルのような宴会を開き、石垣山に「一夜城」を築く心理戦で北条軍の士気を粉砕した。この戦いで秀吉は日本統一の最後の障壁を打ち破った。
みんなの投稿
0
+
まだ投稿がありません
あわせて巡りたい
北
北条氏政・氏照の墓
天正18年(1590年)秀吉の小田原攻めで自刃した北条四代・氏政と氏照の墓所
676m
→
宝
宝伝寺
北条氏康の重臣が開基した曹洞宗の寺、境内に天正小田原合戦の戦死武将の五輪塔が並ぶ
615m
→
大
大報寺
北条早雲が小田原城の鬼門守護に創建した日蓮宗の寺、日蓮聖人の真筆曼荼羅を所蔵
456m
→
松
松原神社
平安時代に遡る小田原の総鎮守、5月の例大祭では神輿と山車が城下旧市街を練り歩く
611m
→
小
小田原用水(遺構)
北条氏康の時代に整備された日本最古級の上水道遺構、神田・玉川上水より古い戦国の都市インフラ
701m
→
居神神社
北条早雲との合戦で討ち死にした三浦義意の首塚伝説が残る延徳3年創建の小田原古社
650m
→
蓮
蓮船寺(小田原)
室町期創建の浄土宗寺院で、東海道小田原宿の寺町を形成する海辺の念仏道場
949m
→
紀
紀伊神社
貞観年中(859〜876年)創建の紀伊国ゆかりの古社—小田原漁港の早川に鎮座し漁師の海上安全と木地師の信仰を今に伝える
2.2km
→
記
情報を提案する
位置のずれ / 由緒 / 参拝時間 / アクセス / 設備 / 注意事項 などを提案できます
›
事実と違う内容を報告
›
📱
アプリでもっと便利に
GPS自動スタンプ・オフライン閲覧・推し活機能
App Store からダウンロード
+
📱
アプリで巡礼を楽しむ
App Store からダウンロード
✕