延喜三年(903年)二月、大宰府の南館(現在の榎社)で享年59歳で病没。最後まで無実を訴え、京への帰還を願う漢詩を詠み続けながら、失意のうちに息を引き取りました。墓所の上に建てられたのが現在の大宰府天満宮です。
伝説です。実際には、道真の死後に弟子や信奉者が大宰府に梅を植え継いだものとされます。ただし「主を慕って梅が飛ぶ」というイメージは、千年にわたって日本の心象風景に深く根付き、天神信仰のシンボルになっています。
約12,000社。北野天満宮(京都)・大宰府天満宮(福岡)・防府天満宮(山口)を「日本三大天神」と呼びます。八幡宮(約44,000社)・稲荷社(約30,000社)に次ぐ第三位の神社系統で、学問・受験合格の神として絶大な信仰を集めます。
930年の落雷で藤原清貫ら6名が即死し、醍醐天皇も体調を崩し3か月後に崩御。朝廷は完全に道真の怨霊と認定し、太政大臣の位を追贈、北野の地に天満大自在天神として祀りました。この事件が道真神格化の決定打となります。
明治期以降、特に大正〜昭和に「学問の神」イメージが広まりました。元来の道真は政治家・詩人ですが、学者の家系出身であることから知性のシンボルとされ、近代の受験文化と結びついて全国の天神社が学業成就祈願の中心に。