藤原氏(特に北家)が他氏族を完全に排除し、摂関政治を確立した決定的事件。これ以後200年間、朝廷の最高位は藤原氏が独占し、藤原道長の最盛期へと続きます。日本中世史の構造的転換点の一つ。
両者とも源氏ですが系統が違います。高明は醍醐源氏(醍醐天皇の皇子からの臣籍降下)、満仲は清和源氏(清和天皇の系統)。満仲は安和の変で高明を密告した側で、これにより清和源氏(後の頼朝・義経の祖先)が朝廷で頭角を現し始めました。
源高明が著した平安朝の朝廷儀礼の総合的解説書。年中行事・即位式・節会の作法を詳述し、後世まで「儀式の最高権威書」として参照され続けました。藤原実資の『小右記』、源雅信の『雅信卿記』と並ぶ平安朝有職故実書の代表。
正確には「左遷地」。大宰府権帥は名目上九州地方の最高責任者ですが、左遷された者(道真・高明・伊周など)には実権を与えず、政庁から離れた館に蟄居させました。形式上は処罰ではないが、実質的には政治的隔離。
道真とは違い、高明は怨霊化せずに静かに学者として帰京・隠居しました。死後の祟りも記録されません。これは藤原氏が高明の処置を「謀叛の処分」ではなく「左遷」と巧妙に処理したことの現れで、政治闘争の洗練を示す事例とされます。