奈良時代中期は天平の疫病(737年の天然痘大流行)・旱魃・長屋王の変(729年)・藤原広嗣の乱(740年)など、社会不安が重なった時代だった。聖武天皇は仏教の「鎮護国家」思想に基づき、全国に国分寺・国分尼寺の建立を命じ(741年)、さらに全国の国分寺を統べる「総国分寺」として東大寺の建立と大仏の造立を発願した(743年)。「この世の全ての生き物が幸せであるように」という願いを大仏に込めた聖武天皇の詔は、仏教的慈悲と政治的統治を結びつけた奈良時代の精神を象徴する。
天平勝宝4年(752年)4月9日、大仏の開眼供養が盛大に行われた。聖武上皇・光明皇太后・孝謙天皇が参列し、インドの高僧・菩提僊那(ぼだいせんな、バラモン出身でインド→唐→日本と渡来)が開眼の筆を入れた。伎楽・舞楽・雅楽・唐楽・林邑楽など各国の音楽が演奏され、一万人以上が参加したと伝わる。当時の国際色豊かな奈良の都の様子を今に伝える歴史的行事。
度重なる焼失と再建——平重衡の火攻めと頼朝の再建支援
東大寺は創建以来、平安末期の治承4年(1180年)に平重衡の南都焼打ちで大仏殿が焼失、南北朝時代の1567年には三好松永の兵の焼打ちで再び焼失した。いずれも再建され、現在の大仏殿は宝永6年(1709年)の再建。なお治承の焼打ち後の再建(1195年)では、源頼朝が東大寺の復興を支援し、供養に際して鎌倉から上洛したことが知られる。