回向院は1667年(寛文7年)、江戸幕府が小塚原(現・荒川区南千住)に設けた処刑場に隣接する地に創建された。当初は刑死者や行き倒れた無縁仏を供養するための寺院として機能し、身元不明の遺体を手厚く弔う役割を担っていた。1771年(明和8年)には蘭学者・杉田玄白と前野良沢らがこの地で刑死者の腑分け(解剖)を行い、その観察記録が後の『解体新書』(1774年刊行)の礎となった。これは日本における近代医学の出発点として広く知られる。江戸時代後期から幕末にかけて、小塚原刑場は安政の大獄(1858〜1859年)で処刑された志士たちの刑場となり、吉田松陰・橋本左内・頼三樹三郎らがここで命を落とした。明治以降、…