天正10年(1582年)、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が川の水を引き込んで城を水没させた「水攻め」で歴史に名を刻む城跡。周囲が低湿地であったことを利用し、秀吉は数十日で5km超の堤防を築いて足守川の水を引き込み、城主・清水宗治を孤立させた。宗治は城兵の助命を条件に船上で自刃するという壮絶な最期を遂げ、武将としての覚悟と潔さが後世に語り継がれている。城の落城を待つ中、秀吉は本能寺の変の報を受け取り、わずか数日で毛利方と講和を結んで「中国大返し」を敢行した。この城跡は日本史の大きなターニングポイントが生まれた場所として極めて重要な意義を持つ。現在は「秀吉の水攻め」の史跡として国の史跡に指定されており、蓮の花が咲く季節は特に美しい景観を見せる。