大願寺の創建年代は定かではないが、建仁年間(1201〜1204年)に僧・了海が再興したと伝わる。正式名称を「高野山亀居山方光院大願寺」といい、高野山真言宗に属する。中世から近世にかけては厳島神社の別当寺的役割を担い、神仏習合の拠点として機能した。本尊の厳島弁財天は秘仏とされ、江ノ島弁財天・竹生島弁財天とともに日本三大弁財天のひとつに数えられる。明治元年(1868年)の神仏分離令・廃仏毀釈の影響により、厳島神社から多数の仏像が当寺に移され、薬師如来坐像や阿弥陀如来像など複数の重要文化財を現在も所蔵する。明治中期には伊藤博文がこの地を訪れ、日清戦争の講和交渉(1895年・下関条約)に向けた下相談が…