天正15年(1587年)、豊臣秀吉は戦没将兵の菩提を弔うため、安国寺恵瓊に命じて宮島に大経堂の建立を開始した。毎月一度『大般若経』を転読するための道場として構想され、畳857畳分に相当する広大な床面積を持つ入母屋造・本瓦葺きの巨大木造建築が計画された。しかし翌慶長3年(1598年)に秀吉が没したため工事は中断し、以来、正面・側面に壁を持たない未完の開放的な空間のまま今日に至る。江戸時代を通じて「千畳閣」の通称で広く親しまれ、宮島を代表する建造物として知られた。明治元年(1868年)の神仏分離令を受け、堂内の仏像・仏具は他所へ移され、豊臣秀吉を祭神として祀る豊国神社へと改められた。昭和時代に国の…