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延命寺(逗子大師)
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延命寺(逗子大師)
神奈川県
創建
729
種別
寺院
アクセス
JR逗子駅から徒歩5分
神奈川県逗子市逗子3-1-17
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基本情報
寺院
創建 729
1297年目
御祭神・御本尊
大日如来
旧本尊: 延命地蔵菩薩
開基・創建者
行基菩薩
宗派
高野山真言宗
ご利益
厄除け・災難除け
浄化・お祓い
出世開運
災厄消除・方位除け・疫病退散。不動明王・観音・祇園の神を祀る寺社で特に祈願される。
御祭神「大日如来(旧本尊: 延命地蔵菩薩)」のご神徳に由来
概要
天平年間(729–749年)、行基菩薩が開創したと伝わる逗子随一の古刹。山号は黄雲山、通称「逗子大師」として親しまれる高野山真言宗の寺院で、本尊は大日如来(旧本尊は行基自刻の延命地蔵菩薩座像)。鎌倉時代には三浦氏の祈願寺として尊崇され、永正10年(1513年)北条早雲に住吉城を攻められた三浦道香主従七武士が当寺で自害した悲劇の舞台としても知られる。境内には家臣・菊池幸右衛門が建立した七基の宝篋印塔「三浦道香主従七武士の墓」が現存し、戦国期の三浦氏滅亡を今に伝える。三浦氏滅亡後は後北条氏の祈願寺となり、天正19年(1591年)徳川家康より寺領5石の御朱印状を下附された。JR逗子駅から徒歩5分、市街地にありながら1300年の歴史を刻む名刹。
由緒
天平年間(729–749年)行基菩薩開創と伝わる。行基が自刻した延命地蔵菩薩座像を安置したことから寺号を「延命寺」と号す。鎌倉時代に三浦氏が堂宇を修補し祈願寺とした。永正10年(1513年)、北条早雲の攻撃で小坪の住吉城が陥落した際、同城を守っていた三浦道寸の弟・三浦道香は主従七武士とともに延命寺へ逃れたが、追撃を受けこの地で自刃した。境内右手の七基の宝篋印塔はその墓所で、家臣・菊池幸右衛門の建立と伝わる。永正13年(1516年)新井城の戦いで三浦氏が滅亡した後は後北条氏の祈願寺となり、天正19年(1591年)11月に徳川家康から寺領5石の御朱印状を下附された。貞享4年(1687年)以降、本尊…
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行基とのつながり
天平年間(729–749年)、諸国を遊化していた行基菩薩が逗子の地を訪れ、自ら延命地蔵菩薩座像を彫刻して安置し延命寺を開創したと伝わる。行基は橋・池・救護施設など民衆救済のための社会事業を日本各地で主導し、後に聖武天皇に請われて東大寺大仏造立にも尽力した奈良時代を代表する高僧。延命寺の地蔵像には「人々の寿命を延ばし苦を除かん」という行基の願いが込められていたとされる。
miura-dokanとのつながり
三浦道香は戦国期相模三浦一族の当主・三浦道寸の弟で、小坪の住吉城を守備していた武将。永正10年(1513年)北条早雲の攻撃で住吉城が陥落すると、主従七武士とともに延命寺に退避したが、追撃を受けこの地で自刃した。境内右手には家臣・菊池幸右衛門が建立した七基の宝篋印塔が「三浦道香主従七武士の墓」として現存し、戦国期の三浦氏滅亡を物語る貴重な遺構となっている。
北条早雲とのつながり
永正10年(1513年)、後北条氏の祖・北条早雲は相模三浦氏攻略のため、小坪の住吉城に攻め寄せた。住吉城は三浦道寸の弟・三浦道香が守備していたが落城し、道香ら主従七武士は近隣の延命寺に逃れたところで追い詰められ自害した。早雲の住吉城攻めは永正13年(1516年)の新井城陥落・三浦氏滅亡に至る三浦攻めの序幕であり、延命寺はその悲劇の舞台となった。
空海とのつながり
延命寺は高野山真言宗の寺院として弘法大師空海の真言密教の教えを伝え、通称「逗子大師」は空海信仰に由来する。毎月21日の大師縁日には逗子の人々が多く参詣し、江戸期以来続く大師講の伝統を今に受け継いでいる。空海が開いた真言密教の教えが、行基開創の古刹と結びつき地域の信仰文化を形成した。
徳川家康とのつながり
天正19年(1591年)11月、徳川家康は延命寺に寺領5石の御朱印状を下附した。三浦氏・後北条氏の祈願寺として逗子で格式を保ってきた延命寺は、関東入府直後の家康による三浦半島の寺社掌握政策のなかでも優遇された寺院の一つであり、徳川期を通じて朱印寺として存続した。

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