天平宝字5年(761年)、唐から来日した律宗の高僧・鑑真和上の直弟子である道忠によって、観世音寺の境内に開創された。奈良の東大寺・下野の薬師寺とともに「日本三戒壇」の一つに数えられ、九州における正式な受戒の場として機能した。鑑真は5度の渡航失敗と失明という苦難を経て753年に来日し、日本に正式な戒律をもたらした人物であり、その高弟が太宰府の地に戒壇を設けたことは、九州仏教史上の重要な出来事であった。中世以降、兵火や社会の変動により衰退の時期を経たとされるが、観世音寺との関わりのなかで法灯は継承された。近世には律宗寺院として再興が図られたと伝わる。本尊の弥勒菩薩坐像は奈良時代の木彫とされ、重要文…