7世紀後半、律令国家の形成期に大宰府は九州の行政・外交・軍事を統括する最高官庁として設置された。政庁の整備は7世紀末から8世紀初頭にかけて進められたとされ、700年頃に現在の礎石が残る正殿・前殿・脇殿を備えた本格的な官庁建築が完成したと考えられている。奈良・平安時代を通じて「遠の朝廷」と称され、遣唐使の出発拠点として大陸外交の窓口を担い、律令制下の地方統治の要として機能した。延喜元年(901年)には右大臣・菅原道真が藤原時平の讒言により大宰権帥に左遷され、延喜3年(903年)にこの地で没した。道真の死後、政庁は引き続き機能したが、11世紀以降に律令体制が弛緩するとともに大宰府の権能は次第に縮小…