千葉県船橋市本町に所在する徳川家康を祀る東照宮で、船橋市指定史跡「船橋御殿跡 附 東照宮」の一部。慶長19年(1614年)頃、江戸幕府初代将軍・徳川家康が東金(現・千葉県東金市)方面への鷹狩の道中の休憩・宿泊所として造営した「船橋御殿」の跡地に建つ。船橋御殿は敷地約57,000㎡(約17,200坪)の広大な御殿で、家康・2代将軍秀忠が利用したが、秀忠以後の将軍家は東金鷹狩を行わなくなり廃止された。貞享年間(1684-1688年)に船橋大神宮神職・富氏に払い下げられ、富氏が御殿跡の中心部に家康を祀る小さな東照宮を建立したのが現在の船橋東照宮の起源。現社殿は安政4年(1857年)再建、昭和2年(1927年)修繕。境内はわずか数坪ほどで「日本一小さい東照宮」とも呼ばれ、小さいながらも家康の鷹狩文化と御殿跡という歴史の重みを伝える貴重な史跡。家康は70余年の生涯で実に1,000回以上の鷹狩を行った…
慶長19年(1614年)頃、徳川家康の東金鷹狩休憩所として船橋御殿(約57,000㎡)が造営された。家康・秀忠が利用したが、秀忠以後の将軍家は東金鷹狩を行わなくなり廃止。貞享年間(1684-1688年)、船橋大神宮神職・富氏に払い下げられ、富氏が御殿跡中心部に家康を祀る東照宮を建立したのが船橋東照宮の起源。現社殿は安政4年(1857年)再建、昭和2年(1927年)修繕。船橋市指定史跡「船橋御殿跡 附 東照宮」。
徳川家康は生涯で1,000回以上の鷹狩を行った鷹狩の愛好家として知られる。鷹狩は武士の鍛錬・食料調達・民情視察を兼ねる政策的行事であり、特に下総から上総にかけての広大な原野は将軍家の鷹場として重要視された。慶長19年(1614年)頃、家康は大坂の陣の直前に東金(現・千葉県東金市)方面への鷹狩路の中継所として船橋に広大な御殿を築かせた。これが船橋御殿で、家康と2代将軍秀忠が利用した。しかし秀忠以降は東金鷹狩が廃れ、御殿も廃止されたが、跡地には家康を祀る小さな東照宮が建てられ、将軍家の鷹狩文化を今に伝える貴重な史跡として現存している。