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源光寺
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源光寺
大阪府
創建
747
種別
寺院
アクセス
大阪メトロ中津駅より徒歩5分、阪急中津駅より徒歩7分
大阪府大阪市北区豊崎2-3-23
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基本情報
寺院
創建 747
1279年目
御祭神・御本尊
阿弥陀如来
開基・創建者
開基: 聖武天皇 / 開山: 行基 / 中興: 良忍・法然
宗派
浄土宗
ご利益
浄化・お祓い
極楽往生
穢れ祓い・心身の浄化・邪気払い。禊(みそぎ)や護摩の伝統に連なる。
御祭神「阿弥陀如来」のご神徳に由来
概要
大阪市北区豊崎に位置する浄土宗の古刹で、山号は清淨瑠璃山。天平19年(747年)、聖武天皇の勅願寺として行基が開創したと伝わり、当初は「平生寺」と称された。天治元年(1124年)、融通念仏宗の祖・良忍上人が中興し念仏宗一派の本山となる。建永元年(1206年)、法然上人が四天王寺参詣の途次この古刹の荒廃を嘆き、再興に尽力した。その折、法然自身が「源をはづねてぞ知るこの寺の 光あまねき法のともしび」と詠んだ歌に因み寺号を「源光寺」と改め、浄土宗に改宗した。文政3年(1820年)の火災で堂宇と勅額を焼失したが、本尊阿弥陀如来像は難を逃れた。現在の堂宇は文久元年(1861年)の再建。行基・良忍・法然という日本仏教史屈指の三名僧と縁を持つ、摂津屈指の古刹として知られる。大阪メトロ中津駅より徒歩5分。
由緒
天平19年(747年)行基が聖武天皇の勅願により開創し「平生寺」と号す。天治元年(1124年)融通念仏宗祖・良忍が中興。建永元年(1206年)法然が再興し「源光寺」と改名、浄土宗に改宗。文政3年(1820年)火災で堂宇を焼失、文久元年(1861年)再建。行基・良忍・法然三名僧ゆかりの摂津屈指の古刹。
法然とのつながり
建永元年(1206年)、法然上人は四天王寺参詣の折に荒廃していた当寺を嘆き、再興に尽力した。その際、自ら「源をはづねてぞ知るこの寺の 光あまねき法のともしび」と詠んだ歌に因み寺号を「源光寺」と改め、浄土宗に改宗させた。法然は専修念仏を唱え日本浄土教を大成した宗祖であり、摂津国では四天王寺との関連で多くの寺院と縁を持つが、源光寺は法然自らが再興し命名した希有な寺院として、浄土宗史においても重要な位置を占める。
行基とのつながり
天平19年(747年)、聖武天皇の勅願寺として行基が開創し、当初「平生寺」と号したと伝わる。行基は橋梁・溜池・布施屋(救済施設)を各地に設けながら民衆教化にあたった奈良時代の名僧であり、東大寺大仏造営の勧進にも尽力した。摂津国での行基の事績は池田・箕面・河内の各地に残るが、梅田からほど近い豊崎の地に行基開創の古刹があることは、古代の難波津から北摂・河内へと伸びた行基の布教ネットワークを物語る。
良忍とのつながり
天治元年(1124年)、融通念仏宗の祖・良忍上人が当時荒廃していた平生寺を中興し、念仏宗の一派を興した。良忍は比叡山で天台を学んだ後、大原に隠棲して声明(仏教音楽)を大成、続いて「一人の念仏は多くの人の念仏に通じ、多くの人の念仏は一人の念仏を成就する」という融通念仏の教えを確立した人物。晩年には摂津国で布教に努め、豊崎の源光寺を再興したことは摂津における融通念仏運動の重要な拠点となった。

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